2012年8月30日

2000年4月より慶應義塾大学に来ました。

2000年4月に伝統ある慶應義塾大学に佐藤研究室(バイオ分子化学研究室)がスタートしました。2002年4月には新設になった生命情報学科に移動し、教授に昇進しました。

5つ目の大学・14回目の引っ越し

これまでに、九州大学、長崎大学、京都大学、東京工業大学と4つの国立大学を渡り歩いてきて、慶應義塾大学は5つ目 の大学です。奇遇なのは移動するたびに新しい実験室に縁があること。中学の時に新しい校舎ができて引っ越したのを皮切りに、九州大学では春日原キャンパス ができて研究室が引っ越した。長崎大学でも増築された実験室に移って、東京工業大学でも長津田キャンパスに生命理工学部の建物が完成し、慶應に移る時には 新築の創想館に研究室を与えて頂いた(感謝)。

出身地は長崎県南島原市西有家町(名産品は手延べそうめん)です。雲仙普賢岳を毎日見 て過ごした。高校は越境入学のために実家を出てからこれまでに長崎市(1回)・福岡市(4回)・長崎市(3回)・京都市(3回)・藤沢市(2回)・横浜市 (1回)の順で合計14回の引っ越しを繰り返してきた。その土地ごとに楽しい生活でした。最も環境に恵まれたのは京都の銀閣寺の近くの浄土寺に住んだと き。哲学の道が週末の散歩コースだった。藤沢は通勤には不便だったが湘南海岸や鎌倉が近く楽しかった。

趣 味

お酒:種類は何でもOK。ワインは赤ワイン。スイスに 国際会議で行ったとき、行きの飛行機から帰りの飛行機の間、赤ワインで通して以来、白ワインより赤ワインを好んで飲むようになった。カクテルは、助手時代 に砂本先生からウオッカマティーニなどの飲み方を教えて貰った。焼酎は九州にいる頃にいろいろ試した。九州各県の焼酎を飲み比べるのも楽しみである。

過 去には、テニス(中学・高校・社会人のクラブチーム)、ゴルフ、ジョギング、単車(中型免許、ホンダGS400E)、映画、旅行など非常にたくさんの趣味 を持っていた。ところが最近はこれといえるものがない。パソコンやインターネットは趣味とは言えず仕事として使っている。旅行も仕事がほとんど。熱中でき る趣味を探したいと思っている。最近では週末のジョギング。

今後の研究は・・

慶應義塾大学では東京工業大学で行ってきた研究も継続しますが、更にそれを越えた発想での研究を目指します。生命科 学の分野においてはポストゲノム時代での新たな概念に基づく研究が可能になってきます。私の専門の糖鎖の分野では蛋白質と違って遺伝子の情報と直接には関 係していないことから、従来のセントラルドグマの世界からかけ離れた存在であると見なされがちです。しかし、今後は、遺伝情報と糖鎖の発現を関係づけた研 究が期待されます。すなはち、ゲノム、プロテオームに続く、「グリコーム」を新たなセントラルドグマとして位置づける事を目指したいと思っています。この ような総括的な糖鎖の研究を行うことで、糖鎖機能の解明のほかに診断や医薬品の開発にも貢献したいと思っています。

Slow but Steady

 「ゆっくりと、でも着実に」

学生時代は、遊ぶにしても実験するにしても、時間がたっぷりあっ てゆっくりと時間が流れていたような気がする。そんな気分を最近味わうことが出来ない。いつも締切に追われており、学内の仕事に加えて、論文の作製な ど・・全て大学の教員としてはごく当然のノルマであるが、体が二つあればどんなに良いかと思ってしまう。でも体は一つ、時間は24時間、仕事もあれば家族 もいる。焦っても仕方ない。目標を掲げたら「Slow but Steady」。新村 出(広辞苑の編者)の言葉である。

研究の原点

多くの研究者は過去に何らかの感動を味わった経験を支えにして研究を続けているのだろうと思う。特に研究を始めたときの経験は重要である。

4 年生の時にポルフィリンを合成していた。論文を頼りに出来たポルフィリンの結晶はきらきら光ってとてもきれいで、今でも印象に残っている。あのときの感動 がなければ、有機化学は嫌いなままであっただろうし、「まずは合成してみよう」なんて言うテーマは続けていないかもしれない。私にとっての化学者としての 原点である。

博士課程を中退して25歳で助手になったときに、細胞の培養を始めることになった。培養室はなく、クリーンベンチは手作 り、オートクレーブは廃棄処理されていた骨董品同然の代物で、今と比べると信じられないような環境で細胞培養を行わざるを得なかった。本を買って勉強した り、医学部のドクターを訪ねてやり方を見せて貰って覚えようとしたが、環境のためか何度も失敗を繰り返していたが、繊維芽細胞が何週間も続けて生きていて くれるようになって、細胞のおもしろさが解るようになってきた。伸長した細胞の形を培養顕微鏡の中で見たときの感動は、私にとっての生物化学の研究への入 り口であった。それ以来、細胞はいろんな情報を与えてくれて、いろんな興味を引きだしてくれる。研究テーマの宝庫である。